前夜は「あぢもり」さんで極上の黒豚しゃぶしゃぶを堪能し、しっかりと英気を養いました。いよいよ今回から、本格的な鹿児島市内の史跡巡りがスタートします!
明治維新の舞台となったこの地には、歴史を動かした偉人たちの足跡が数多く残されています。まずは市内中心部から、歴史探索へ出発です。
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幻の宰相・小松帯刀(こまつたてわき)像
銅像の下には詳しい説明書きがありました。
小松帯刀は1835年生まれ。西郷隆盛や大久保利通らを重要な役職に就け、薩長同盟の締結や大政奉還に尽力するなど、明治維新に向けて多大な貢献をした人物です。残念ながら34歳という若さで亡くなりましたが、この像は「大政奉還すべき」と他藩に先駆けて記帳したときの様子をイメージして造られているそうです。
いざ、大迫力の西郷隆盛像へ!
続いて向かったのは、鹿児島観光の定番中の定番「西郷隆盛像」です。像の近くには立派な「西郷隆盛 略年譜」の石碑が建てられており、生い立ちから西南戦争で生涯を閉じるまでの歴史が刻まれています。街の中にこうした碑が自然と溶け込んでいるのは、さすが鹿児島市ですね。
西郷隆盛像の細かなサイズが記された説明板も設置されていました。なんと「身長5.257メートル、5.7頭身」とのこと!昭和12年(1937年)に建てられたこの像は、県立鹿児島工業高校の生徒さんたちが実測に挑戦して算出された数値だそうです。
・姿と服装:東京の上野恩賜公園にある「着物姿で犬(ツン)を連れた姿」とは異なり、こちらは我が国初の陸軍大将を務めた際の厳格な正装(制服)姿をしています。
・制作者:鹿児島市出身の彫刻家であり、東京・渋谷の「忠犬ハチ公像」を手掛けたことでも知られる安藤照(あんどうてる)が、8年の歳月をかけて制作しました。
・規模:本体5.76m、土台1.21m、築山7.27mと、全体で約8mにも及ぶ大迫力のモニュメントです。
・アクセス:カゴシマシティビュー「西郷銅像前」下車すぐ、または市電「朝日通」電停から徒歩約8分。住所は鹿児島市城山町4-36です。
カメラでアップにして撮影してみました。約8m(本体だけでも5m超)の高さから見下ろす威風堂々とした表情。江戸城無血開城など最大の功績を残しながらも、最後はこの背後にある城山の地で自刃した西郷どんの激動の人生に思いを馳せてしまいます。
【豆知識】西郷隆盛と坂本龍馬の深い絆
大迫力の西郷隆盛像を前にすると、幕末を駆け抜けた数々の志士たちとの交友が思い浮かびます。中でも人気の高い坂本龍馬と西郷隆盛には、とても深い信頼関係を示す有名な逸話が残されています。
坂本龍馬が師である勝海舟の紹介で初めて西郷隆盛に会った際、その印象をこのように語ったと言われています。
「西郷という人物は、小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だ。その正体は到底見当がつかない。」
龍馬は西郷を「釣り鐘」に例え、その器の大きさや得体の知れないスケール感を絶賛しました。この運命的な出会いが、のちの薩長同盟へと繋がっていきます。
1866年(慶応2年)の寺田屋事件で九死に一生を得た龍馬は、西郷隆盛や小松帯刀らの計らいで、妻・お龍を連れて薩摩(鹿児島)の霧島温泉などで療養しました。これが日本最初の新婚旅行として知られています。
鹿児島滞在中、龍馬夫妻は西郷の自宅に招かれました。当時の西郷家は藩の要職にありながら非常に質素で、なんと雨漏りするほどだったそうです。妻の糸子がお客様の前で「面目ない」とこぼしたという微笑ましいエピソードが残されています。
龍馬はのちに姉・乙女へ宛てた手紙の中で、「西郷夫婦はとても心が良い人だから、お龍を預けておいても何の心配もいらない」と書き送っており、西郷の人柄を全面的に信頼していたことが伺えます。
次回の史跡巡りへ続く…
西郷隆盛像を満喫した後は、案内板に従って次の目的地へ。「黎明館」「天璋院(篤姫)像」、そして「鹿児島城(鶴丸城)」へと足を進めます。
この続きは次回のブログでたっぷりとご紹介しますので、どうぞお楽しみに!
今回の鹿児島旅行での滞在先アパホテル〈鹿児島天文館〉の予約はYAHOOトラベルを利用しました。繁華街に近く交通の便が最高の天文館エリアに位置しているため、名店「あぢもり」での夕食や、スーパーも近いので買い物にもアクセス抜群!移動の拠点として大変便利でおすすめです👍







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